【前編】おばあちゃん家を民宿に。岡谷市湊で紡ぐ、家族と地域の物語
櫛部 紗世
古民家民宿はなおかさんち
2025年春、湊小学校に隣接し、きらきらと輝く諏訪湖を望む場所に一軒の民宿がオープンした。古民家民宿はなおかさんち。どこか懐かしく、「おばあちゃんち」を想起させるようなこの民宿は、まさしくオーナー櫛部紗世さんの「おばあちゃんち」だった家だ。
東京都出身の櫛部さんは、子どもの頃、毎年夏になると祖母の家を訪れ、諏訪湖を眺めながら花火を楽しむのが恒例だった。「机を窓際に寄せて、部屋の明かりを消して花火を見てたんですよ」と懐かしむ。今でもこの家の一番のお気に入りだ。
祖母の家は、櫛部さんにとって特別な場所だった。祖父が亡くなった後も祖母が一人で家を守り続け、訪れる家族を温かく迎え入れる姿が印象的だった。櫛部さんの幼少期の思い出は、現在の民泊運営にも強く影響している。
「祖父はこの家をたくさんの人があつまるようにとこだわりを持って作ったみたいです」櫛部さんは、家のこだわりを教えてくれた。廊下は畳敷きでふすまを外せば宴会ができる広間に。玄関には腰かけスペースを設け、訪れる人が気軽に話せる。どれも「たくさんの人の拠点になろう」という祖父の想いが見られるこだわりだ。
「まさか民泊という形で使われるとは夢にも思ってなかったでしょうけど、おそらくおじいちゃんが一番喜んでいるんじゃないかな(笑)」と櫛部さんは語る。祖父のこだわりが息づいた家は、民泊として新たな形で受け継がれている。
祖父の早世後は、祖母が一人で家を守り続けた。広い家を一人で管理するのは大変だったはずだが、櫛部さんの思い出にあるのは、いつも家をピカピカにして、たくさんのおもてなしで、家族を温かく迎え入れてくれた姿だった。
そんな祖母が10年ほど前に、療養のため東京へ移り、家は空き家となった。家族会議の末、一度は「たたむ」という結論が出されたが、その結論に櫛部さんは「まった!」をかけた。
「母からこのおうちをたたむと聞いた時、私と妹が大反対したんです(笑)」「あの思い出が詰まったお家をたたむなんて、そんなことはできないなって」。櫛部さんは、祖母に直接会いに行き、「本当はどうしたいの?」と尋ねた。祖母の「本当はたたみたくない」という言葉は、櫛部さんの行動の大きな原動力となった。
その日から、“家をどうすれば残せるか”を模索する日々が始まった。空き家相談会や移住セミナーに参加し、具体的な活用方法を模索する日々。「いろんな選択肢がありました。誰かに貸して、住んでもらうとか。」「でもやっぱり、私達も帰ってこられる場所にしたかったんですよね。」そんな思いから、民泊としての再生を目指すことにした。
当初、高校生までをこの家で過ごした母は、民泊という選択に心から賛成することはできなかった。東京で生まれ育ち、今も生活拠点が東京にある娘が本当にこの地で民泊ができるのか、という不安からだ。「そこを説得するのが一番大変でしたね」と櫛部さんは語る。
「最初は地域に受け入れてもらえるか不安だったんですけど、ふたを開けてみたら、結構皆さん、声をかけてくださったりして」「すごい嬉しい、一番予想外だったことかなって思いますね」オープンから1年を迎える今、地域との関係性は良好だ。
民宿を始めてから、様々な出会いがあった。訪れるお客さんと一緒に諏訪湖っぱたを散歩する時間が一番好きだと話す。「お客さんと地域を楽しむのが好きなんです」と櫛部さんは語る。
冬場は寒さが厳しく、電気毛布の使い方を説明することから始まることもある。「首都圏の方々は電気毛布を使ったことがない方も多いらしくて、すごく新鮮だと言われます」と笑う。お客さんとの交流を通じて、岡谷の魅力を伝えるだけでなく、自分自身新たな発見も得ている。民宿の運営は、櫛部さんにとって地域の魅力を再確認する場でもあるのだ。