憧れの古民家暮らしは、岡谷市にあった。神奈川から夫婦でJターン、岡谷市夏明での日々。
須田達哉・美海 夫妻
移住者
妻の美海さんは京都府出身。大学は岡山県、就職で神奈川県へ。達哉さんとともに岡谷市川岸へ移住し、現在は塩尻市の造園会社が営む茶房に勤めている。
ふたりが選んだのは、築およそ100年の古民家。少しずつ自分たちの手でリノベーションしながら、畑・蔵・山つきの暮らしを満喫している。
移住のきっかけを尋ねると、夫・達哉さんはこう話す。「漠然と、育ったところに戻りたいなっていう感覚はずっとあって。真面目に考えた時に、やっぱり諏訪湖を中心に産業や町が成り立っていて、標高の高い山に囲まれた風景が原風景として頭に残ってて。そこで大人になった暮らしをしたいなっていうのがずっとあったんですよね」
一方で、神奈川での仕事も充実していた。「仕事を続けるか、理想の生活をとるか、ずっと天秤にかけ続けてた」と振り返る。
移住の時期は「35歳くらいかな」と思っていたが、仕事の節目と物件との出会いが重なり、「今だな」というタイミングが訪れた。
妻・美海さんは「夫からずっと諏訪に行きたいとは聞いていた」と笑う。新しい土地への移住に抵抗はなかった。「引っ越しを決める前に一回来てみたら、ここなら大丈夫だ、楽しいって思って」。
移住前に訪れた際、五蔵の飲み歩きイベントに参加したことも後押しになった。「酒蔵があるってやっぱり文化的にも深い町で、御柱もそうですけど、そういう昔からの文化がある地域に住みたかったので、全然抵抗はなかったですね」と話す。
移住の決断は、ひとつのきっかけで動いたわけではなかった。「どれが最初っていうよりも、いろんなタイミングが重なった感じ」と達哉さんは話す。神奈川にいる時にすでに現在の物件を見つけ、購入し、会社を辞め——それらがほぼ同時期に動いた形だ。
達哉さんは一級建築士。転職先は、長野県のマッチングサイト「信州で働こう!」で見つけた。「大きい会社に行くんだったら、神奈川でよかった。自分がしたいことがかなえられそうな会社を探していて」。サイトを眺めていたところ、今の会社に出会った。
「話してると、“知ってる人伝いに知ってる人”、みたいな田舎あるあるがあって(笑)。社長が自分の考えとか面白がって聞いてくれるから、ここだなって」。現在は諏訪市の建築会社で、地域に根ざした仕事に携わっている。
美海さんは塩尻市にある、「造園会社が営む茶房」に勤めている。
「インスタでずっと素敵だなと思ってて、ハローワークにも求人が出てて。岡谷からなら塩尻も通えるし」。
岡谷市に住みながら、諏訪地域の他市町村や、松本地域、上伊那地域など様々な方面に通勤できるのは、交通の結節点である岡谷市の強みである。
物件はインターネットで見つけた。「最初は買うつもりもなく、ずっと流し見ぐらいの感覚で見てはいて。金額とか場所の土地勘の面で“この辺だったら一回見てみようか”って話になって」
岡谷市は隣町という感覚で、川岸エリアはウナギ屋さんに行くくらいで、正直そこまで知っていたわけではなかった。「駅があるっていうそのくらい」と達哉さんは笑う。それでも実際に足を運んでみると、「思いのほかよくて」と直感が動いた。
物件を選んだ決め手は、立地と佇まいの両方だった。「住宅街に住むんだったら、神奈川でよかった。程よく人里離れつつ、車で10〜15分で経済圏に出られるあたりがいいなと思っていて、まさしくそこだった」。
現在の住まいも外観はほぼ変えておらず、「フォルムは変わっていない。たたずまいはかなり気に入ってる」と話す。
売主さんとの縁も大きかった。「売主さんがすごくいい人で、お隣さんとかみんな連れて回って紹介してくれて。周りとの良い関係性が見えて、いいなと思った」。田舎への引っ越しにあたって周囲の雰囲気が気になっていた分、その光景は安心感につながった。
購入後、リノベーションが始まった。最初の大仕事は解体だった。
「神奈川の時の同僚に声をかけたら、みんな面白がって10人くらい来てくれて、みんなで壊して片付けをしたのが最初でしたね」。梁は残しながら、床板をすべて剥がし、1年ほどかけて神奈川から通いながら図面を起こした。
解体中に思わぬ発見もあった。「2階は蚕を飼ってたみたいで、壊してる時に梁に繭が残ってたりして」。築100年の家が刻んできた時間が、そこに静かに残っていた。
その後、本格的な工事が始まった。最初に手がけたのは土間だ。「職人さんが来てくれて、自分たちでコンクリートを運んで、教えてもらいながらやらせてもらったのが印象に残ってる」。その後、大工さんが入り、床や屋根などの大きな工事はプロに任せた。
左官だけは自分たちで挑戦した。「混ぜ方とか塗り方とか教わって、失敗もしながらちまちまと(笑)」。
漆喰には、もともと外壁に使われていた土壁を混ぜ込んだ。天井には2階の床板を洗って再利用した。「できるだけここで使われていたものを使いたくて。ほぼほぼ趣味ですね(笑)」。
現在の完成度は全体の3〜4割。畑、庭、蔵、そして山まで——「一生かけて開拓していきたい。死ぬのが先かもしれないですけど(笑)」と達哉さんは笑う。
暮らしが変わると、感覚も変わった。「住む場所を変えて、ご飯がおいしいねって思うことが増えた。アパートの時と同じものを食べてるのに、こっちの方がおいしいって実感してる」と達哉さんは話す。「感覚を変えたくてここに来た」という言葉通り、日々の解像度が上がったような感覚がある。
お隣からはキュウリ、キャベツ、小さな大根といった野菜が袋いっぱいに届く。「これが聞いてた田舎暮らしかって。最高だよね」と顔がほころぶ。
今年は初めて味噌づくりにも挑戦した。「周りの話を聞いてると、みんなやってるじゃんって。お漬物も自分でつけるし、味噌も作るし。都会でいう梅酒をつけるくらいの感覚で、みんなあれこれしてるのが楽しい」。
美海さんはわら細工にはまっている。「安曇野市でやっている方に教えてもらって、宿題をもらって家でやったり。将来的にはこの辺で取れたわらで作れたらいいなと思って」。
草木染など、自然に根ざした工芸文化がこの地域には豊かに残っている。「そこら辺のおばあちゃんが普通に知ってるっていうのがすごくて。ワークショップじゃなくて、生活に根差してるのがいいなって思う」と話す。
川岸は、岡谷市の中でも昔ながらの地域性が色濃く残るエリアだ。「ここらへんは本当に昔からある地域で、近隣のつながりも強くて」と達哉さんは話す。
引っ越してきたばかりの頃は、自治会や近所付き合いをどうすればいいか戸惑うこともあった。「隣組とはなんぞや、みたいな話をしたりとかしてました(笑)」と笑う。
それでも、地域の温かさはすぐに感じることができた。お隣からは「流しそうめんやるから来なよ」と声がかかり、袋いっぱいの野菜が届く。「これが聞いてた田舎暮らしか、って(笑)」。
空き家が多いこのエリアで、「若い人来てくれてうれしい」と声をかけてもらえることが、ここに住む喜びのひとつになっている。
移住して良かったことをたくさん話してくれたふたりに、正直なところも聞いてみた。
「冬が寒すぎる(笑)」と美海さんは即答する。最初の冬はアパート暮らしだったこともあり、特に堪えた。
文化施設や情報へのアクセスも、都市部とは異なる。「美術館とか文化施設が少ないのは寂しいな、と。街をぶらぶらしているとポスター1枚から情報が入ってくるのが、ここだと少ない。いかに自分で取りに行くか、っていうのは確かに不便かな」。ただ、電車でアクセスできる環境もあるため、「最悪、川岸駅からでも行けるから大丈夫」と笑う。
そして最後に出てきたのが「居酒屋がないのも不便かも(笑)」という一言。「もうここをみんなが集まる場所にしたい(笑)」と2人は笑う。不便さも、この暮らしを自分たちで作っていく楽しさに変わっていくようだ。
30年後の暮らしを想像してもらうと、達哉さんはすぐにこう答えた。「たぶん同じことしてると思います。ここに座って、酒飲んでるかな(笑)」。
畑、庭、蔵、山——まだ手つかずの場所がたくさんある。「一生かけて開拓していきたい」という言葉に、この暮らしへの深い愛着がにじむ。
同時に、「似たような境遇の人のお手伝いもしたい」という思いも芽生えている。「いろんな人が出入りできる場所にしていけたら。ゲストハウスとか、そういう方向にも夢が広がってる」。
美海さんは「幼稚園の頃から、将来は古民家に住みたいって思ってた」と笑う。その夢が、岡谷市川岸で静かに、確かに、叶っている。
移住を考えている人へのメッセージを求めると、「とりあえず来てみてほしい」と達哉さんは話す。「自然に触れるのが一番魅力を感じやすいんじゃないかな。ドライブするだけでもいいし」。
肩肘張らず、まずは足を運んでみる。そのくらいの気持ちで、この町との縁は始まるのかもしれない。